鉛筆画・水彩画、似顔絵の「朝馬のアトリエ」

ニュージーランド1人旅

1.夢が叶った日

趣味が高じて、1人でニュージーランドを2ヶ月間も釣り歩いたというお話です。ニュージーランドの南島のクライストチャーチという都市を皮切りに、そこから南下してトゥワイゼル、ワナカ、マタウラという田舎町に滞在しながら、レインボウトラウトとブラウントラウトをフライフィッシングで追いかけました。この2種類の鱒は、いずれも、かつてイギリス人がスポーツ・フィッシングをするために持ち込んだものです。
 平成17年10月1日に成田を発って2ヶ月間ニュージーランド(以下、NZ)に滞在し、12月3日に帰国しました。

出発の日には家内と息子と、そして姪の3人が成田空港まで見送りに来てくれました。叶えることは難しいだろう思っていた旅がとうとう実現する日が来たのです。3人の見送りを受けているうちに、今から始まる旅がきっと大成功するだろうという確信のようなものを感じ取ったものでした。この日のために新しく購入した超大型の旅行用バッグと3本の釣竿を納めた長いロッドケースを荷物カウンターにあずけ終わると、弾む足で出発ロビーに向って階段を駆け上りました。

※日本を発つ前に我が家で撮った写真。準備万端、気分はワクワク

ロッド3本
ロッド3本とギッシリ詰まったフライボックス。お守りも

スーツケース
真ん中のロッドケースを挟んで
 超大型旅行バッグと小型バッグ

2.ニュージーランドの気候

10月2日にシンガポール経由でクライストチャーチ空港に到着しました。ここNZの気候は春です。 でも、気温は日本の春よりも大分寒かったですよ。特に夜間は暖房が必要なくらいに冷え込みました。NZは赤道を挟んで日本のほぼ反対側の位置です。もう少し正確に言うと、NZの国土のほぼ中心地はクライストチャーチという都市ですが、そこの緯度は南緯43度33分です。日本の札幌市が北緯43度03分ですから、春とは言え寒いわけですよね。

南半球の気候は当然ながら日本の気候と正反対です。僕が日本を発ったのは10月1日、暑かった日差しもようやく弱まり、生い茂った木の葉もこれから迎える秋に備えて終末の準備を始める時期でした。ところがこちらに着くと木々の若葉は目に眩しく、花々の香りがにおい立っていました。10月2日にNZに着いて最初に感じたことは、「アレ、どうしてここは春なの?」という時差ボケならぬ季節ボケでした。夏が過ぎると秋が来て、その向こうには冬が待っているという、日本で何十年間も生活して必然的に身に付けた春夏秋冬の季節感が、たったの一日で狂ってしまって頭がボーッとしてきました。バラの花が咲き匂っていました。日本の春を代表する桜の花も異国のNZで結構見かけましたよ。NZは、まさに春本番です。僕も急いでNZモードに切り替えなくては!

八重桜
アッシュバートンの町で撮った八重桜

3.最初はクライストチャーチから(10月2日〜22日)

(1)今日から自分は外国人

クライストチャーチ地図

アキレスモーテル
アキレス・モーテル

クライストチャーチ空港では、税関と検疫の二重の検査を受けます。NZは農業国ですから検疫は特に厳しく、害虫や細菌の侵入を防ぐために釣りの道具は汚れの有無まで念入りにチェックされます。これをクリアーして、ようやくゲートの外に出ることができました。すると、そこにはレンタカー会社の社長と日本人スタッフとがプラカードを掲げて出迎えに来てくれていました。プラカードには予想に反して日本語で「大橋様」と書き込んでありました。
 英語の“WELCOME! MR. OHASHI”ではありませんでした。日本語での歓迎は、なぜかちょっと恥ずかしい気がしました。

お互いの自己紹介の後、NZの交通ルールと簡単な車の操作の説明を受けて早速ハンドルを握りました。彼らは空港から僕の滞在先のモーテルまで、もう1台の車で先導してくれました。先導する車の後部に右とか左とかのウインカーランプが点滅したり、ブレーキランプが点灯したりする度に、すかさず自分もそれに従って操作し、着かず離れずの間隔を保ちながら慎重に後をついて行きます。でも、日本と同じ左側走行だし、提供された車は日本車だし、あまり不安は感じませんでした。日本と異なるのは、右折車が直進車を優先することと、ロータリー交差点への進入方法に独特なルールがあるという点ですが、これらも実践のなかで身に着けました。
 モーテルに着き、レンタカーに関わる緊急時の連絡先を確認し合ったりして一通りの事務手続きが終わると、彼等はすぐに帰ってしまいました。さあ、これから先は全て自分ひとりでやらなくてはいけません。一人になって、荷物を解いてしばらくの間部屋の中をあれやこれと調べていたら、現地のフィッシングガイドから電話が入りました。いつ釣りに行くかという問い合わせでしたので、あさっての10月4日の早朝に迎えに来てくれるように依頼しました。これからの長期戦に備えて、明日は一日体をゆっくりと休める事としました。その日のうちに買出しを済ませ、1人で夕食を取っていると、外国人としてのNZ一人暮らしが始まったことをひしひしと実感しました。

ホスト夫妻
このモーテルのホスト夫婦は大変愉快で気さくな人でしたので、クライストチャーチでの
20日間はきわめて快適でした。(ただし、言葉には不自由しました)

(2)モーテルについて

ここでモーテルについて解説しておきましょう。NZ人の多くの人たちは週末や祭日を利用しての家族旅行を楽しみます。鉄道がほとんどない国なので車を使った旅行となります。彼らのほとんどはモーテルを利用します。大都市の中でもリゾート地でも田舎町でも充実したモーテルが一杯立ち並んでいます。モーテルは全て家族旅行用に作られていますから、そこでの生活に必要となる大きなキッチン用具(電子レンジ、電気コンロ、大量の肉を焼くオーブン、冷蔵庫、種々の包丁、ナイフ、大小種々の食器類、小調味料、流し台などが完備)、リビングルーム、2ベッド以上の寝室、バス、トイレ、洗面台などが全部揃っています。単独旅行の僕にはもったいない感じでしたが、単身用のモーテルは存在しないので1人でそこに宿泊しました。滞在期間中の2ヶ月は全て自炊しました。モーテルと聞いて何か別の事を想像している“そこのお兄さん!”、いけませんよ。

(3)夜明け前の妖精

このモーテルに宿泊中、毎朝辺りがまだ暗いうちから美しい妖精が僕の枕元に来て、1人寝の僕をやさしく目覚めへと導いてくれました。僕の耳元で、「さあ、朝ですよ。もうすぐ明るくなるから目を覚ましなさいよ。今日も元気で頑張りましょうね。」と囁いてくれるのです。と、言っても小鳥のことですよ。いつも決まって窓辺の茂みで優しい声で鳴き始めるのです。鳥がさえずるというよりも、本当に妖精の言葉で語りかけるように聞こえるのです。カラスのわめき声とは大違いなのは言うまでもありません。
 現地の人に、その鳥の名前を聞くと“マグファイ”とか“メグファイ”とか言っているように聞こえましたが、日本語の発音に置き換えて理解しようとすると、ますます捕らえようがなくなる発音です。後に、ようやくそれらしい単語を辞書で捜し当てたら、「magpie=カササギの1種」と載っていました。
 或る日の昼間、その鳴き声が庭の梢で聞こえました。そっと近づいて目を凝らすと焦げ茶色の小ぶりな鳥がそこにいました。携帯電話の機能を使って、その声を録音しようと更に近づくと、くるりと後ろ向きになってプツリと鳴くのをやめてしまいました。斜め後ろ向きのままの姿勢で、時々首だけをチョイ、チョイとこちらに向けては僕の様子を伺っていますが、いつまで待っても再び鳴き出すことはありませんでした。とても、はにかみ屋さんでした。

(4)どのようにして釣行するか

NZでの釣りのことについて少し紹介しましょう。

滞在地に着くと、そこで一週間に一度くらいのペースでフィッシングガイドを雇います。初めて釣行する川や湖は広大な大地の中にありますから、トラウトのいるポイントは全く分かりません。そこで、最初はガイドの案内で釣行します。ポイントを憶えたら次の案内までの何日間かは、ポイントをメモしたマップを持って自分ひとりで出かけます。ガイド同行の時には、ガイドは慎重に川岸を歩いて水中のトラウトを見つけます。水面がギラつきますから、普通の釣り人が流れの中に潜んでいる魚影を見つけるのは至難の業ですが、それを職業とする彼らは鋭い目で正確に見つけ出しては釣り人に居場所を教えます。魚影のない場合は、どんどんと歩いて移動します。見つける魚は、ほとんどが60センチメートル前後の大物です。釣り人がガイドの指示通りに、その大物の頭の上流側2メートル位にうまくフライをキャストすることができれば高い確率でトラウトは食いついてきます。しかし、何しろ日本では見たこともないような大物を目の前にする訳ですから、手が震えてしまって思い通りにはキャストできません。ベストポイントを外すとトラウトはスーッと逃げてしまいます。一日中追っかけて一匹も釣り上げられなかったこともありましたッケ。そういう日は僕も疲れますが、案内したガイドも、さぞかしオツカレアソバサレルことでしょうネ。僕のことをへたくそな釣り人だと思っているのかなー、でもこっちは高いガイド料を払ってるんだゾー、「ちゃんと釣らせてくれよ。」と言いたくもなります。

(5)シーズン初期の仕掛けの紹介

NZでのシーズン初期はビーズヘッドニンフを沈めて釣る方法が主体です。ドライフライでは、この時期、ほとんど魚は出ません。この時期に使用したタックルは、

  • ロッド=6番・9フィート・2ピース・ファーストアクション、
  • フライライン=6番フローティングラインWF、
  • リーダー=3X、ティペット=4X、
  • インジケーター=ヤーン、
  • フライ=ビーズヘッドニンフ、その下にドロッパーをつける場合があります。

(6)初めての大物(アッシュバートン川)

ガイドとの2回目の釣行で62センチのブラウントラウトを手にしました。ガイドの指差すところにフライをキャストしたら、その落ちたフライを狙って、得体の知れない大きなトラウトらしき物が水中でグニャリと魚体を翻すのが伺えました。すかさず合わせをくれるとズッシンとした手ごたえ、今まで経験したことのない重いものでした。「あわてるな、あわてるな」と自分に言い聞かせて、水中に激しく突き刺さっていくフライラインを必死でコントロールしました。何年もの長い間、夢にまで見続けた瞬間がとうとう来たと思うと体中が震えました。トラウトは重い力でラインを引きずり出します。獲物と自分とを結ぶラインの張り具合は、強すぎても弱すぎても最終的に獲物を手にすることは出来ません。体で覚えこんだテクニックで、リールからラインを出したり反対に巻き取ったりしながら機敏にラインの張りを調整します。傍らに立っているガイドは“スローリー、スローリー”と言って盛んに僕を落ち着かせようとしています。相手が疲れるまで待つしかないのです。やっとのことで静かになったところを見計らって慎重に足元に引き寄せると、ガイドがすかさず魚体をネットの中に納めました。メジャーで計ると62センチありました。
 ヤッターッ、ついにヤッタゾー!!  たとえようのない達成感に満たされました。満面の喜びの表情をビッグトラウトとともに記念写真に収めることにしました。ところがデジカメが作動してくれません。魚との格闘に夢中になっている間に、首に掛けていたデジカメをわずかの間、水中に漬けてしまったらしいのです。仕方が無いので、代わりに携帯電話で写真を撮りましたが、せっかくの大物第一号の記念写真は出来の悪いものになってしまいました。

ブラウントラウト
携帯電話で撮ったNZ初の大物ブラウントラウト、
  62cm(アッシュバートン川)

ガイドのマーティン
ガイドのマーティン(リーストン川)

(7)クライストチャーチという町

この都市は人口約30万人で、NZ二番目に大きい町です。一番はオークランドで人口約120万人、三番目の首都のウエリントンは政治都市なので人口約16万人で小規模な都市です。NZ全体の人口は約400万人ですから、それ以外の国土のほとんどは牧場と野菜畑です。実に雄大で、壮大で、手付かずで、のんびりしています。

さて、クライストチャーチの町ですが、僕がNZに発つ前に知人のイギリス人に尋ねたところ、都市構造や建築の様式がイギリスそのものということでした。のっけから妙な説明になりました。イギリスを旅行したことのない僕が、そう言われたからといって勿論理解できた訳ではありません。NZは英国の植民地から独立して約60年の歴史しかありませんが、クライストチャーチの中心部はとても古い町並みでした。全体の道路網は格子型にがっちりと構成されています。車社会を反映して、一つ一つの道路は桁外れに広く、分離帯の樹木は、これまた桁外れな巨木です。走行車線とは別に、両端には駐車場用にたっぷりとしたスペースを持っています。都市の中心部には銀行、ホテル、行政機関、商業施設、飲食店、大教会などが集中していて、世界各国からの観光客が訪れます。人を優先するためのポリシーを頑固に守り通していて、都市の最も中心に当たるところには広大な歩行者広場のシティーモールがあります。当然、それは車社会の機能を阻害するという一面をもたらすことになりますが、彼らは、それを当たり前の社会的ルールとして認め合っています。人の憩いの場を優先するという意味では、街の中をグルリ、グルリと巡って流れるエイボン川や約200ヘクタールにも及ぶハーグレイ公園が都市の骨格の一部としてしっかりと組み込まれています。

エイボン川では観光客は船頭付きのボートで、のんびりと遊覧(パンテング)しています。公園では市民たちがゴルフや散歩などを思い思いのライフスタイルで楽しんでいます。そうだ、エイボン川と言えば街の中を流れる川とは思えないほど水がきれいです。街中でもブラウントラウトの産卵行動が見られると言うから驚きです。さて、さて、また、お魚の話に戻ってしまいましたので話題を釣りに移しましょうね。

シティモールに繋がる橋
シティモールに繋がる橋

路面電車
路面電車

大聖堂
大聖堂

エイボン川のパンテング(手漕ぎボート遊覧)
エイボン川のパンテング(手漕ぎボート遊覧)

ハーグレイ公園内のゴルフ場
ハーグレイ公園内のゴルフ場

ラジコンレース
公園内の池でシニアたちがラジコンで
   ヨットレースに興じている。

4.2番目の滞在地トゥワイゼル(10月23日〜11月05日)

(1)トゥワイゼルの町への移動

トゥワイゼル

今日、10月23日は次の滞在地のトゥワイゼルへの移動日です。トゥワイゼルはクライストチャーチから南へ距離にして約200キロ離れたところです。お世話になったモーテルの夫婦に挨拶を済ませました。別れ際に奥さんが、トゥワイゼルの隣町には自分の親戚があるから、是非そこに立ち寄るようにと見取り図を描いてくれました。
 さあ、次なる未知の世界に向かっての出発です。次の町では、どんな“お魚”との出会いが待っているのだろうか、期待と夢で胸がわくわくしてきます。ガソリンを満タンにして走りだしました。頼りになるのは道路マップだけです。郊外のハイウエイをひた走り続けていくとやがて対向してくる車もすっかりなくなりました。
 何時間か走った後、途中の見晴らしの良い峠で車を降りました。前方に目をやると眼下に広大な大地が広がっていて、その先の大地と空と交わる線上が目的地に間違いありません。視界をさえぎるものは何一つ無いので地平線の果てまで見渡せます。

峠から眺めるトゥワイゼル
峠から見た大パノラマ、前方が目指すトゥワイゼル方面のはずだ

一休みして、もう一度マップを確かめると再び走り始めました。小一時間くらい掛けて緩やかな峠を曲がりながら下って行くと、そこから先はまた道路が一直線に伸びていて、行く手にはさっき峠から見た方向にサザンアルプスの白峰の連なりがはっきりと大きく見えてきました。どうにか道を間違えずにトゥワイゼルにたどり着けそうだ。そう思って安心したら急に不安から開放されて、日本の懐かしい歌が口をついて出てきました。なんと、その歌は普段は全く記憶のそとにある、かの懐かしの映画「愛染かつら」のテーマ曲でした。ハンドルを握ったまま、体全体を上下に弾ませるようにリズムを刻みながら、口から出まかせの歌詞を無我夢中になって歌いながら走り続けました。「♪タッターラ、タラララランラ、タララララッタッターッ♪」。頬には涙まで流れ落ちてきました。

トゥワイゼル
前方のサザンアルプスの方角が目的地トゥワイゼル

平坦な大地の先の峠をもう一度越えて下って行き、やや距離を置いて1つまた1つと湖を通過しました。湖面全体がやや白濁した薄水色の明るい神秘的な輝きを放つ湖は紛れもなくテカポ湖とプカキ湖です。その向こうには真っ白なサザンアルプスの峰々が目線より高いところで連なって見えます。有名なマウント・クックも見えます。妖しく輝き続ける湖面と白峰とが織り成す幻想的な世界を、まるで夢でも見ているような気持ちで走り続けました。トゥワイゼルはもうすぐです。

プカキ湖とクック山
プカキ湖とMtクック

プカキ湖
明るい空の下で輝く湖面

(2)トゥワイゼルでの滞在

トゥワイゼル

コロニアルモーテルとレンタカー
コロニアル・モーテルとレンタカー

トゥワイゼルは人口わずかな小さなリゾート地です。広大な丘陵地帯の中にある美しいところです。ちょっと離れた所にはテカポ湖やプカキ湖やオーハウ湖がありサザンアルプスもよく見えます。サザンアルプスの中にはマウント・クックという3千メートル級の山があって、山腹には氷河を抱えています。ここを水源とする湖や川の水が、かすかに白濁した薄水色にキラキラ輝いて見えるのは、これらの水系に氷河が溶け込んでいるからです。週末になると観光客で賑わいます。ほとんどのお客さんは家族連れや2〜3人の友人同士ですが、たまに団体客が押し寄せました。クラシックカーの愛好家たちの一団が、思いっきりド派手な自慢の愛車で乗り付けてきて町の中心を占領したこともありました。彼らは朝から晩まで屋外のテーブルを囲んでワイワイガヤガヤと楽しそうにいつまでも駄弁り続けていました。

僕は、中心部の一角にあるコロニアル・モーテルというところに居を構えました。そして、ここでもやはり片時も竿を離さずに釣りに出かけました。人間による汚れを一切知らない山々や澄み切って輝く川や湖に囲まれて、1人で大型トラウトを相手に至福の時を過ごしました。こんなことをしていると、その内に天罰が落ちるんではないかと心配をしたものでした。もしも、もう一度NZに来ることが出来るとしたら、絶対にここで釣ろうと思い込ませるような、そんなすばらしいところでした。

オハウ湖
霊峰とオーハウ湖

ニジマス
この湖で釣ったレインボウトラウト

(3)戦いに敗れたお話(オピヒ川)

ここトゥワイゼルでの釣りは絶好調でした。心臓がドキドキするような大きなトラウトとの出会いもたくさん経験しました。 でも、ここでの思い出としては、戦いに敗れて悔しい思いをした場面を紹介することにします。

それはガイドとオピヒ川に釣行した時のことでした。先行して歩いていたガイドが身をかがめて振り返りながら、僕に静かに近づいてくるように手招きしました。僕も同じ様に身を低くかがめるようにして、ソーッとガイドに寄り添いました。彼は“あそこを見ろ”と腕を一直線に伸ばして止めています。静かに彼の後ろに回って、まっすぐ伸ばした彼の右腕の先を肩越しに探しました。斜め上流に向かって指差すポイントは、やや流れのある浅瀬で、対岸からは木の枝が水面に覆い被さっています。流れによって絶え間なく歪み続ける水面下をジーッと食い入るように伺っていると、居た!大物です。ガイドの今までにない慎重な素振りから、おおよその想像はできていましたが、思わず“デカイ”と声が出てしまいそうでした。そいつは70センチくらいのブラウントラウトです。上流に頭を向けて石ころだらけの川底でジッとしていますが、時々左右に振れてフィーディングしています。こういう動きをしているトラウトは比較的活発にフライを追うことは長い経験から良く知っています。

準備を終えて、さあ、キャストです。強張った体をほぐすように深呼吸して第一投。しかし失敗です。緊張と、覆い被さる木の枝が気になって、かなり手前にフライが落ちてしまいました。フライラインの長さを調整して、もう一度深呼吸をし直して第2投。今度はトラウトの上流左側1.5メートル位のところに逸れてしまいました。これも失敗です。流れのあるところでは、トラウトの頭の上流2メートル位から正確にビーズヘッドフライを沈めてやらないと、なかなか食ってくれません。ミスキャストしたフライのインジケーターがトラウトの左側を通過したので、もう一度キャストし直そうかと思った矢先のことでした。そいつは突然身を翻して下流側にサッと回りこんで、大きな口をガバッと一瞬開きました。大型トラウトが捕食のために口を開けると、見えにくい水中にあっても瞬間的に口内の白い色が識別できるのです。“バイト!”僕とガイドは同時に叫んでいました。反射的にロッドを立てるとドスッという反動。がっちりとフッキングしてロッドがグイッと曲がりました。

これからが大変です。キャストのときに余分に出たフライラインを急いで全部リールに巻き取って、左手でロッドをしっかりと立てたまま右掌でリールの側面を包み込むようにホールドして相手の出方を待ちました。リール操作による戦法に変えないと勝てる相手ではないことは容易に判断がつきます。途方もない大物を掛けたことで体中から火が噴出してきて震えが止まりません。でも、こちらが動揺しているにもかかわらず、奴は落ち着き払っているのかジッとしていて、全く動く気配を見せません。どうしたものか、もっとラインを強く張るべきか、それともロッドを左右に煽って、向こうの動きを誘うべきか。相手が一向に動きを見せないので、ますますこっちに焦りが出てきます。しばらく対峙していると奴は何事もないようにゆっくりとラインを引きずり出し始めました。しばらく引き出しては止まり、また、しばらく引き出しては止まりを繰り返しながら、僕がわずかでも失策を犯そうものなら反撃してやろうと、抜け目なく狙っています。大分ラインを引き出されたので、ロッドをためて慎重に引き寄せます。じわりじわりと寄ってきますが頭は向こうに向けたままです。すべてが奴のペースで進んでいます。「フンッ!お前のような未熟者に、この俺様が釣れるもんか。」僕のことをそう見下しているようです。

少し冷静になるように周りを見渡しました。川幅は広くないし、下流側には流れのゆったりした浅瀬が広がっている。そこに持ち込んで戦えば絶対に勝てる。そう自分に言い聞かせて持久戦に構えました。何度か一進一退を繰り返しながら、ようやく目指す下流の浅瀬に戦場を移すことが出来ました。しかし、奴のペースは依然として崩れません。威圧的な貫禄を示したまま、牛のような力でノッシ、ノッシとラインを引き出し、僕の焦りを誘います。でも、離れたり手繰り寄せたりの回を重ねるごとに、奴と僕との距離は少しずつ縮まってきました。10分経ったのだろうか、それ以上経ったのだろうか、その場には時間の観念は全く存在しませんでした。  やがて、さすがの奴も、やや体を斜めに傾けたまま引き寄せられて、足元近くで動かなくなっていました。ヤッター、勝ったゾ!そう勝利を確信したときでした。奴は一転して、流心に向かって一気にダッシュしました。危ない、このままでは対岸のブッシュに逃げ込まれる。悲鳴を上げながら逆回転するリールの勢いを右掌で少しだけ抑え込みました。すると奴はその制御を振りほどくように体をグルッと一回転させました。それと同時に手にした僕のロッドがスッと軽くなりました。悠然として逃げて行く勝者の後姿を、無残な敗者が呆然として見送っていました。

64cmのブラウントラウト
これは、うまく釣り上げた方の
  64cmのブラウントラウト(オピヒ川)

ガイドのスティーブ
ガイドのスティーブ(オピヒ川)

☆番外編(失敗談、冷や汗談、珍プレー、あれこれ)

(その1)水漬けデジカメの後日談

魚との格闘中にデジカメを水中に漬けてしまって、作動しなくなったことは既にクライストチャーチ編で話しました。このハプニングには後日談があります。写真が撮れなくなってしまったら、僕の旅の楽しみは半減します。釣り人の本性は、釣った魚を“ドウダッ”とばかりに他人に見せびらかして己の優越感に浸ることです。もしも悔しがる釣り人がいてくれたら、フムフム、俺も満更ではないなと自己満足できるのです。そんな訳ですから記録を残すためのデジカメは必需品です。

なんとか修理したいと思っていたところ、モーテルの主人が「SONY SERVICE CENTER」の所在を教えてくれました。さっそく持ち込んだところ、その店員は「一度水が染み込んだらもうダメではないか、ペラペラペラ、それにここにはジャパンソニーの技術者がいないから申し訳ないが直せない、フニャフニャ。」と、外人(もとへ、NZ人)独特のオーバーなジェスチャーで、心から気の毒そうな顔をして壊れたままのカメラを僕に戻します。「だって、この事務所は立派な構えダシー、看板には“サービス・センター”と書いてあるシー、それに、なぜわざわざ日本人の技術者が必要なのダー。」と、文句の一つや二つ言いたかったのですが、何しろここは異国、店員とのやり取りはほとんど身振り手振りですから、これ以上の期待は持てません。
  そう言えば、NZに来てから機械工場らしきものはほとんど見かけたことがありません。ちなみに道路を走る車の95パーセント位は国産車(もとへ、日本車)です。NZは自国で1台も生産していません。何事においてもメカに関する先端の技術力はゼロに近く、全て国外に依存しているようです。

仕方なく、家内にメールを入れて至急もう1台のデジカメと、持参したパソコンにインスツールするためのソフトを送ってもらうことにしました。1週間後に届きましたので、その荷物を解こうとしましたが、その前にフト思い直して、もう一度故障中のカメラを確かめて見ることにしました。水気が飛んで、ヒョットしたら、ヒョットするのではないかと閃いたからです。故障中のそいつを取り出して、グイッと起動ボタンを押したらジーッという作動音がして、なんと正常に機能し始めたではないか。コノヤロー!!

(その2)スーパーでの失敗談

買いだめ用の食料品をスーパーのカーゴに入れて“オッサ、オッサ”とレジまで押していき、イザ勘定をお願いしようとポケットに手を入れて見たら、コリャ困った!財布がない。アイ アム ソーリー ゴニャ ゴニャ ゴニャと平謝りして退散。

(その3)一方通行の道路に侵入した話

ちょっとばかり分かり難い交差点で、うっかり侵入してしまいました。対向してきた車のお爺さんが、びっくり仰天して青い目を見開いたまま車をよけてくれました。やさしいお爺さん有り難う。サンキュウ アンド エクスキューズ ミー。

(その4)ハイウエイで追い越しをかけてヒヤリとした話

NZのハイウエイには中央分離帯がありません。ハイウエイと言っても通行料は無料、制限時速は100キロです(でも、みんなもっと飛ばします)。道路は平坦で、ほとんど一直線ですから、対向車の有無は、はるか彼方の前方まで確認できます。
   ある時、前を走行する車が少しノロかったので追い越したくなりました。幸い向かって来る車は、まだはるか彼方に点のように見える一台だけです。ヨシッとばかりにアクセルを踏み込んで右側を追い越し、暫らく気楽に対向車線を走り続け、車間距離を十分に広げてゆっくりともとのの車線に戻していたら、こちらに向かって来ていたさきほどの車はもう目の前まで迫っていて、ブンッ!という、ものすごい音を立てて僕の横をすれ違って行きました。双方が100キロ以上の猛スピードで対向すると、あっという間に急接近するものだというコワーイ、コワーイ教訓を授かった日でありました、ハイ。

まだまだあるよ

(その5)図らずも飲酒運転をやらかしたお話

日本を発つ前には滞在地ごとのフィッシングガイドを予約しておいて、旅行会社を通して事前にガイド料金の支払いを済ませて置きます。それでもなおかつ、最終日にはお礼のチップ(かなりの高額)を渡すのがフライフィッシャーマンとしての紳士の礼儀となっています。
  ある釣行前夜のこと、チップ用の現金の持ち合わせがないことに気が付きました。明日でそのガイドとはお別れなのにどうしょう。借りでも作ろうものなら、偉大なるジャパニーズ・フライマンの名が廃ります。現金を手にするためには、これから隣町まで車で行かなければなりませんが、夕食時に、今夜はもう寝るだけだということでチョッと晩酌をやっていました。しかし背に腹は変えられません。・・と言う訳で、夜中の10時ころ、自動換金機(NZではかなりの田舎町にも設置してあって、クレジットカードで昼夜換金できる、外国人旅行者には便利なもの)のある10キロ離れた隣町まで飲酒運転する羽目になってしまいました。慎重に慎重を重ねて運転して、やっとの思いで無事宿に生還したときには本当にホッとしました。退職後だから許してもらえるが現職中にそんなことをしたら即首になったかもネ。(エッ、時効はないから退職金を即刻返還しろって?)

5.3番目の滞在地ワナカ(11月6日〜19日)

(1)ワナカの町への移動

どんなに楽しい釣りをしても、どんなに面白い人との出会いがあっても、また次への期待が新しい土地への旅立ちを駆り立てます。今日11月6日はトゥワイゼルからワナカへの移動日です。トゥワイゼルからワナカまでの移動距離は100キロ位ですから、今回は少し時間的な余裕があります。途中のオマラマという町で一服することにしました。クライストチャーチを出発するときに、モーテルの奥さんが親戚の家があるので是非立ち寄って行く様にと薦めてくれた町です。荒っぽく描いてくれた地図を頼りに、その家を訪ねていくと、それらしき所に普通の民家がありました。でも、僕が想像していたイメージしたものとちょっと違っていたので躊躇してしまいました。

奥さんの説明によると、その親戚の人は画廊を開いているとのことでした。でも目の前にある家は、普通の民家のたたずまいだったので、この家は違うのではないかという思いが立ってしまい、気後れしてしまいました。結局その家のドアは叩きませんでしたが、後で考えてみたら、それが目的の家だったのかもしれません。というのは、300メートルくらい離れた場所の、この家にたどり着く前に立ち寄った小さな商店街にお土産屋さんが数軒あって、その中の1軒のコーナーに絵画が並べてありました。モーテルの奥さんが僕に伝えたかったのは、「その人はお土産屋さんに画廊を開いている絵描きさんで、住んでいる家はこの地図の場所だから、是非この家の方に立ち寄るように」ということだったのかもしれません。言葉が正確に理解できないと、お互いの意思が伝わらないものだと痛感しました。日本にいて、日本語による会話だったら、このような食い違いは起こらなかったことでしょう。
  普段の何気ない日本語の会話の中で、物事の事象や話す人の感情の移り変わりまで正確に伝え合える言葉という武器の偉大さと重要性を改めて認識させられました。

サーモン剥製
オマラマの町のお土産屋の女性と彼女が釣った2匹サーモンのはく製。
   44ポンドと36ポンドあったそうです。脱帽!

(2)ワナカの町

ワナカ

ワナカ湖畔
ワナカ湖畔

旅も大分慣れてきてロードマップ一枚で、さほど心配することもなくワナカの宿泊先の“アルパイン・モーテル”に着きました。ワナカ湖の南側に沿うように商店街があり、その周辺には民家が立ち並んでいます。ここを訪れた人達は、ワナカ湖でヨット遊びとか観光船巡りとか水上スキーを楽しんでいます。小さな町ですが、やはり国内外からのお客さんはかなりの数で、湖畔のインフォメーションセンターはいつも賑わっていました。ここでも、僕は観光には全く興味を示さず、水さえ見つければ、その中にどんな魚がいるんだろうかと、透かし見る毎日を送りました。釣りは、周辺の川や湖でしましたが、絶景のなかでの釣りは狭い日本で釣りをしている皆様には申し訳ないと思うほど感動的でした。

マカロラ川
マカロラ川、この頃になると1回のキャストでゲットした

ガイドのリチャード
ガイドのリチャード、半ズボンで冷たい川の中に

(3)NZの小動物たち

NZには猛獣がいません、蛇もいません。有り余るほどの自然にめぐまれて、尚且つ天敵もいないので、たくさんの鳥やウサギなどの小動物が幸せに生きています。釣竿を担いで川原の土手を釣り歩いていると、野うさぎがぴょんぴょんと跳ね回ります。川面にはたくさんの鴨たちが遊んでいます。でも、この鴨にはうんざりしました。丁度繁殖期だったので外敵に対する警戒は異常に厳しく、近寄ろうものならガオガオ、グワグワと無神経な大声を張り上げて騒ぎ立てます。そのうるさいこと、うるさいこと、これには閉口しました。こっちは魚を探して、ソーッと静かに歩いているのに、この間抜けな野郎め、魚がみんな逃げてしまうではないか!

ワナカに滞在していたときに釣行したマカロラ川の川原では、上空からアジサシの猛攻撃を受けました。石ころだらけの広大な川原がアジサシたちの一大コロニーだったのです。知らずに足を踏み入れたものですから、何十羽というアジサシが上空から急降下してきて、侵入者の頭を突っつくやら糞を引っ掛けるやら。急いでそこから抜け出そうとしましたが、足元をよく見ると、石ころの上には卵が無造作に生みつけられているし、すでに卵から孵った雛がうずくまっているし、これらを踏みつけないようにしなければならないし、急いで逃げなくては攻撃が続くし、もう気が気ではありませんでした。

ワナカ住宅街
ワナカの住宅地

隣の夫人
隣の部屋のご夫人からコーヒーをご馳走になった。
   撮った写真を見せたら、“奥様に見せたらいけませんよ、私に嫉妬するから”と冗談を言った。

ワナカ商店街
ワナカ商店街

インフォメーションセンター
ワナカ湖畔のインフォメーションセンター

6.最後の滞在地となったマタウラ(11月20日〜12月2日)

(1)「イヴニング・ライズ・ロッジ」という名前

マタウラ

イブニング・ライズ・ロッジ
「イヴニング・ライズ・ロッジ」 家の裏はマタウラ川

さて、11月20日には、ワナカからマタウラに向かって3度目の移動をしました。
  マタウラの宿泊先は、「イヴニング・ライズ・ロッジ」という名前の一戸建てです。フライフィッシングをする人がこのロッジの名前を聞いたら、ビビッと敏感に何かを感じ取って、“オオッ”とか、“ムムッ”とか、“サテハッ”とか、叫んだり、唸ったり、有らぬ空想を描きたてたりすることでしょうね。実は、このロッジの裏庭をちょっとだけ歩いて下って行くと、そこにはNZで最も魚影が濃いといわれるマタウラ川が流れているんです。ここに泊まったフライマンが夕飯を食った後で、やおら竿を担いでその川に立ち込み、イヴニング(夕方)の川面でいっせいにハッチするメイフライを捕食するために集まった巨大なトラウト達が、あっちこっちでライズしているところを見計らってフライをキャストし、手当たり次第にバッタ、バッタと腕が痛くなるまで釣りまくる。そうなのです、きっとそういう壮大な光景を夢見て付けた名前に違いないのです(と思います)。

実際、ガイドと釣行した時に真昼間にもかかわらず大型トラウトが集団でライズしている場面に何度か出会ったことがありましたので、夕時にもっとすごいことが起こることは決して夢物語ではありません。スーパーハッチが起こるのは夕方というのが定番ですから。しかも、夏場は午後9時過ぎまで空が明るいのですから。

このロッジの持ち主は日本人です。オーストラリアに長期駐在しているビジネスマンで大の釣りキチです。世界を股に掛けて釣り歩いている人ですが、何度かマタウラ川に来る内に、この民家が欲しくなってとうとう自分のものにしてしまったそうです。そして付けた名前が「イヴニング・ライズ・ロッジ」。うーん!その気持ち分かるなー。世界中にゴマンといる釣り人達の中のごく少数の内のそのまた何人かは、必ずこのような“究極的な”運命をたどります。そう言えば、映画「釣りバカ日誌」の主人公・ハマちゃんも究極の人ですよね。(そういうお前はどうなのかって? 僕は違いますよ。)

この一軒家のロッジには12日間、1人で寝泊りしました。ドライフライによる釣りを信条とするフライマンにとっては真にユートピアです。

釣行
ガイドのデーヴィッドとの釣行 川面には花びらが流れる

キャッチ&リリース
釣った魚はすぐにリリースします

(2)ドライフライ中毒

さて、メイフライのハッチが始まると一斉にトラウトたちがライズを始めます。ブラウントラウトは、その時、顔をゆっくりと水面から出して、大きな口でメイフライをガボッと飲み込み、また、ゆっくりと沈んでいきます。そのために川面一帯のあちこちに大きな頭がニョキニョキと出ますから遠くからでもその様子がわかります。そこで、釣り人達は躍起になって、その場所を探すわけですが、いつでも、何処でも、そういう場面に鉢合わせると言う訳ではありません。故にガイド達の長年の経験と勘が必要となる訳です。彼らはその日の風向きや気温によって実に的確に釣り場所を判断します。

ここでの釣り方は、もっぱらドライフライです。メイフライを真似て巻いた毛鉤を水面に浮かせて釣る方法ですが、マタウラのメイフライのサイズは非常に小さいので、そのサイズに合わせた極細のティペット(先糸)にフライを結んで大物と戦うのです。これを一度味わったフライマンは、そのスリルとサスペンスの虜になってしまいます。

大きなブラウントラウトが自分のキャストしたフライを狙って水面からモッコリと顔を出し、それを咥えて再び水中に潜り込んでいく様をはっきりと目の前で確かめることが出来る訳ですから。それも飼いならされた池の鯉と違って、日ごろは用心深いはずの純正の野生のトラウトがそういう行動をとる訳ですから。そして、掛けてからのトラウトとの戦い、もうたまりませんよね。これ程興奮する釣り方は他にありません。こうしてフライマン達は次第にドライフライ中毒になっていく訳です。ひとたびドライフライ中毒に罹ると強い禁断症状を伴うことになってしまいます。そう言えば僕を案内してくれたフィッシングガイドも腕に“ドライフライ中毒”という刺青があるそうです。釣り人の人生も過酷ですよね、“究極の人”になってしまったり、“中毒患者”になったりするわけですから。

大物釣り
ドライフライ中毒患者のフィーバーした顔

NZ郊外の羊
NZ郊外のどこでも見られる風景

(3)仕掛けの紹介

  • ロッド=4〜6番・2ピース・9フィート・ミディアムスローアクション、
  • ライン=4〜6番フローティングラインDTまたはWF、
  • リーダー=5X、ティペット=6X、
  • フライ=CDCダン16〜18番

合わせのタイミングの取り方は、トラウトがフライを咥えるのを確認してから3つ数えた後に、ゆっくりとロッドを立てます。ビシッと合わせをくれると細いティペットが一瞬で切れます。また、大型トラウトの口はデカイので、小さなフライが口からすっぽ抜けてしまうのです。

(4)日本人フライマンとの出会い

ガイド達は時々釣り人を自分の家に招待してくれます。ここ、マタウラのガイドも何度か僕を招待してくれたので、家族の方や、ここを釣り宿としている人達と一緒に楽しく夕食をご馳走になりました。ガイドの家はメイン道路から約1キロ脇に外れた、ゆったりとした見晴らしの良い小高い丘の上に建っていました。それは日本人の僕から見ると羨ましいほど広い敷地の中にある平屋建ての家でした。また、そこには名古屋から来られた60歳代半ばのフライマンがホームスティしておられました。お話を聞いてみると、毎年釣りのベストシーズンには4ヶ月間この家に泊まって、毎日釣り三昧の生活をしておられるとのことでした(この人も、立派な“究極の人”です)。NZで購入した車をこの庭先に年中預けっぱなしにしているという徹底振りです。

この方とは何度か一緒に釣行させていただきましたが、フライラインを自分の腕のように自由自在に伸ばす、その美しい姿に見とれてしまいました。また、狙ったトラウトは、ほとんど一発で釣り上げました。 うーん、マイッタ、マイッタ、傍らでみんな釣られてしまう。宿に帰ってからはタイイングの技術を伝授していただきました。この地域のトラウトにピッタシ合うフライを巻いていただいたので翌日早速試したところ、トラウト達は何のためらいもなく、このフライを口に吸い込んでくれました。

7.突然の帰国、そして今思うこと

帰国の日は思わぬ形でやってきました。NZ滞在真只中の12月2日の午前中に家内から急を知らせる携帯電話が鳴りました。
  それは、姪の突然の不幸を知らせる電話でした。2ヶ月前に家内と息子の三人で見送ってくれたのばかりなのに。空港ロビーではあんなに笑顔だったのに。可哀そうに、可哀そうに。信じられないまま、残りのスケジュールを全て打ち切って荷物をまとめると急いでクイーンズタウン空港に車を走らせました。空港に向かう車のハンドルを握りながらも、機内から眼下の真っ白い雲海を見下ろしながらも涙がぽたぽたぽたぽたと後から後から落ち続けました。

帰国後、ご両親のご家族と一緒になって諸々の法事を終え、気持ちも落ち着いたところで、こうして旅行の思い出を整理しています。振り返ってみると、この旅が実現できたのは僕を励ましてくれた多くの人達があったからこそだとつくづく思います。それらは友人であったり、先輩であったり、親戚の人たちであったり、そして僕の家族であったり。とりわけ、家内が僕の夢に真っ先に賛成してくれたことは本当に幸せでした。お蔭で、釣り人にとっては夢のような経験を手に入れることができました。

静かに目を瞑るとNZの美しい山々や見渡す限り続く広大な牧場の光景、そして澄み切った湖の岸際の浅瀬をゆっくりとクルージングする大きなトラウト達の姿が瞼に浮かんできます。旅行中にはいろんなことがありました。が、それでもやはりNZは本当にすばらしいところでした。出来ることなら、もう一度あのトラウトたちに会いたい。そして思いっきりフライをキャストしたい。その日が再び来ることを願ってやみません。

羊の群れ
道路上を移動する羊たち。
   右側は牧童と牧童犬 前方はMt.クック

マツダ、ファミリア
2ヶ月間走り続けてくれたマツダファミリア

〜完〜

平成19年2月